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上野―札幌間を走る寝台特急

社会交通工学科 1年 柴田 直輝

1.24系25型特急型客車「北斗星」


北斗星

寝台特急 北斗星の方向幕



 昭和63(1988)年3月13日、津軽海峡線が開業し本州と北海道のレールが初めて1本に結ばれた。この一大プロジェクトの完成を睨んで、ダイヤ改正向けの車両の用意など、諸作業はその数年前から着手されていた。当然、昭和62(1987)年4月1日の国鉄分割民営化以前のことである。「北斗星」の原形となる上野一札幌聞直通のブルートレイン3往復(うち1往復は季節列車)も、初めから運転計画に含まれていた。走行距離1100km、所要時間約16時間という長距離列車の新設は久しぶりのことであった。しかし、破綻に瀕した財政事情、航空機に対して完敗状態の東京対北海道の輸送状況などから、国鉄は積極策には打って出なかった。
 しかしこの現状に民営化後のJR北海道が異を唱えた。世はバブル景気、リゾート時代を迎えつつある頃。国鉄の発想では時代に取り残されかねない。民営企業として、東京行きの看板列車は時代を先取りする魅力を持たなくてはならなかった。この考えにはJR東日本も賛同。昭和63(1988)年3月の運転開始まで、厳しいスケジュールであったにもかかわらず、豪華列車への挑戦が始まったのである。対象は定期列車2往復で、基本構造だけ揃え、両社が1往復分ずつ「競作」する形となった。方針としては、個室寝台車をさらに増やし、ロビーカーを連結。食堂車は予約制を前提に「あさかぜ」を上回る充実した内装と、和洋の高級料理中心のメニューとすることで合意した。セールスポイントは、青函トンネル開通という最大級のインパクトを活用し、北海道へのブルートレインでしか味わえない、旅のプロセスを演出することに置かれた。その象徴が、かつてない空間を独り占めできる「走るシティホテル」A個室「ロイヤル」である。
 1万8000円(当時)という寝台料金設定もあって、集客を望むというよりはJRのショールームになればよい、との心づもりで送り出したともいわれる。だがふたを開けてみると申し込みが殺到し連日満席。うれしい悲鳴となった。このほか、これがデビューの1人用B個室「ソロ」と、「あさかぜ」と同様の2人用B個室「デュエット」(JR北海道のみ)の連結も決定。これに「ツインDX」と愛称の付いた既存の2人用A個室串と、インテリアを根本的に改めた「グランシャリオ」(北斗七星を含む「おおぐま座」の意味)と命名された食堂車を加え、デラックス編成が完成した。この際に改造された車両は、JR北海道がオロハネ25 551〜553、スハネ25 501、502。北海道向けに改造済みのオハネ25を種車として再改造するという意気込みを見せた。側面のエンブレムがシンボルである。
 一方、JR東日本はオロハネ25 501〜503、スシ24 504〜506、オハ25 501〜503を準備。オロネ25 506も加えられている。空前の「北斗星人気」を呼び個室寝台車を次々に増備こうして「北斗星1・2号」(JR北海道持ち)、「北斗星5・6号」(JR東日本持ち)として走り出した「夢のブルートレイン」は、JRの予想を遥かに上回る「ブーム」を巻き起こす。寝台券、特に個室は「幻のチケット」とまでいわれたほどの大反響を呼んだ。この需要過多な状況に対応するため、平成元(1989)年3月改正で行なわれたのが季節列車「北斗星3・4号」の定期化、デラックス編成化である。すでにこの列車は、B寝台のみの編成を改め、前年夏より予備の個室寝台車、食堂車を組み込み、毎日運転されていた。充当される編成はJR北海道、JR東日本で各1本ずつ持つことになった。このため「3・4号」用の車両は、両社で定員などが合わせられている。また、同年夏からは「3〜6号」の「ロイヤル」を1編成当たり4室に増強することも目論まれた。この際、JR北海道が改造したのが、オロネ25 551、オロハネ25 554、555、スシ24 508、オハ25 551、マニ24 502である。ほかに予備車を確保するため、スハネ25 503が追加された。JR東日本ではオロネ24 501、オロハネ24 551〜554、スシ24 507、オハ25 504、マニ24 501が造られた。さらにこの改正で、輸送力列車として全車B寝台の臨時特急「エルム」が設定され、B寝台車が増強されている。これがJR北海道のオハネ24 501〜、オハネフ24 501〜、およびJR東日本のオハネ24、オハネフ24の各0香代改造車である。
 翌平成2(1990)年夏には「北斗星1・2号」の「ロイヤル」「ソロ」増結用、オロハネ25 556〜558をJR北海道が投入している。平成3(1991)年3月改正では、上野駅地平ホームの騒音防止のため、編成が丸ごと方向転換され、電源車が札幌寄りになった。バブル崩壊後も個室寝台車の人気は依然高く、JR北海道は「北斗星1・2号」の個室化をさらに進めることとなる。ただ、焦点は「ロイヤル」から「ソロ」「デュエット」となり、バブル崩壊の影響も感じられた。平成3(1991)年の夏〜秋に投入されたのが、オハネ25 551、552のオール「ソロ」、オハネ25 561、562のオール「デュエット」である。これで一時「北斗星」用改造車は、増備が中断された。ほかのブルートレインが廃止、統合される中、一時ほどではないにせよ、「北斗星」は依然、比較的高い乗車率を誇っていた。しかし、平成6(1994)年12月から「3・4号」が毎日運転の季節列車となるなど、不況の影響がじわりとおよんできていた。ここでJR北海道は「1・2号」の完全個室化を行なう。乗車効率のよいB個室「デュエット」を増備するため、平成9(1997)〜10(1998)年にかけて、オハネ25 563〜566を改造した。また同時に、オハネフ25の一部を「Bコンパートメント」化。これにより、当時の最新鋭車285系「サンライズエクスプレス」と比べて遜色のない列車を造り上げた。なお平成3(1991)年から、同社の「北斗星」用オハネ25、オハネフ25の一部は、急行「はまなす」にも共通運用されるようになっている。一方、JR東日本の指向はさらなる豪華化であった。その結果が平成11(1999)年7月運転開始のE26系「カシオペア」となる。
 「北斗星」はこの影響で誕生以来の大変革となり、「3・4号」が臨時格下げで「81・82号」に。「5・6」号が新たに「3・4号」となった。編成内容には当初、大きな変更はなかったが、平成16(2004)年4月から、「81・82号」運休時に「3・4号」への個室寝台車増結が実施されている。


 
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